医学部に入った自分の小学生前半時代に、親がしてくれたこと7つのこと

 

自分の小学生前半時代に、親がしてくれたことをお話します。

 

これは、良かったと思う点であり、これから自分の子供にこのようにしていきたいと私が強く思っている点でもあります。

 

では、早速お話します
(思い出補正という、美しい補正がかかっています)

 

 

 

 

1.「勉強しろ」とは一言も言わなかった。

 

意外かもしれないですが、小学校前半のころなんてあんまり勉強した記憶がありません。覚えていないだけでバリバリやっていたかもしれませんが、多分していません。

 

正直、宿題をやっていたのかすら自信がないのですが、それでも家で「勉強しなさい」と言われたことはありません。

 

ですが、家に置いてあった歌で覚える九九という謎のテープや、漫画みたいな勉強本や、興味のある分野ができたらその分野のかなり詳しい本などが自然に用意されていて、母と一緒に本を読んだり、調べたことを母に話したりして、聞いてもらっていました。

 

「やれ」と言われたらやる気が失せます。

 

たとえ、(思っていなくても)「いまやろうと思ったのに」と水を差されたように思ったら、勉強が苦痛になっていたかもしれません。やれと命令されて楽しく勉強できる子はいません。ただ、最初から勉強が嫌いな子も居るのでしょうか?新しいことをしったり出来るようになることは、本来楽しいことです。

 

私にとっては、勉強という認識ではない状態で(実は)勉強をできていたように、自分で学ぶ子になるように見守ってくれたことを感謝しています。

 

 

 

 

2.算数で3ヶ月先に勉強することは、もう知っている状態にしてくれた。

 

特に算数の領域なんですが、遊びながら勉強していた分野が、いつも学校で習う数カ月後のことをしていました。

 

だから、学校の勉強でつまづくことはなかったし、テストもいつも100点でした。だって、もう勉強したことを学校で復習までして(小学校低学年の時って素直ないい子なので(そう信じたい)、知っている問題だったりでも、手を上げて発言したり一生懸命やります。で、計算問題だと復習になったり反復練習になったりします。

 

本当に退屈だと、教科書の先のページをしていたこともありますが、学校の勉強って、一度つまづくとなかなか追いつけないと思うんですよね。

 

塾講師をしていた時に聞いた統計の話では、分数の計算ってつまづきやすい分野らしいんですが、これもできないようになっちゃうと、もう受験的には絶望的なんですって。私は学校で習う前にもう知っていたので、周りの子が悩んでいるのを見ながら、6倍くらいの問題数(量の話です)を解いていたんじゃないかと思います。

 

この、だいぶ先を予習っていうのは、例えば中高一貫の学校とかもしていることで、非常に効率的な方法です。中学の塾に行っても、少し先まで「予習」しますよね?

 

算数だけでも、自然と予習していたのは良かったんだと思います。
あ、だからサザエさんのカツオくんの気持ちは、今でも全くわかりません。
医学部に入った自分の小学生前半時代に、親がしてくれた7つのこと

 

 

3.習い事は、歩いていける範囲の場所を選んでくれた。

 

私はそろばんとピアノを習っていました。そろばんは今思うと非常に素晴らしい習い事で、是非子供に習わせるべきと主張したいです。(参照:そろばんのすすめ

 

ただ、親が決めた習い事はどうしてもモチベーションが続かないことがあります。

 

その対策として、習い事に行く⇒友達と合う場所に変えてしまうという方法が私には有効でした。

 

そろばん塾に行くと、幼稚園の時一緒だったけど小学校の学区が違う友達や、学年やクラスが違う友達と会うことができました。そろばん塾はアットホームな雰囲気で、少し早く行くと友達と塾が開くまで遊んでいたり、少し遅くまで遊んでから帰ったり、自由にさせてもらっていました。自分のタイミングで行ける、近い場所だったから。

 

大きな大きなカバみたいな先生が居たので
そろばんの種類にカバ玉というのがあるので、私はカバ学園と呼んでいましたが
そろばんを習いに行くというよりは、「カバ学園に遊びに行く」っていう場所でした。

 

それが良かったんじゃないかなと思います。
「是非これをさせてあげたい」という習い事があって、それを好きになるまで続けてほしいなっと思ったら、例えばその習い事でできた友達と一緒に、御飯会をしたり、遊べる時間を作ってあげたりすると、成功率が高くなるかもしれません。

 

 

 

4.「医師になろう」と思わせてくれた。

 

小学校の時、小児喘息の私がシューパーシューパー吸入をしていた時に、医師をしていた祖父の居る病院に行っていました。白衣を来たおじいちゃんは格好良かったです。その後も(元気な時に)、母が病院に連れて行ってくれ、祖父の外来の後ろに隠れて、見せてくれる機会を作ってくれました。

 

ステマ?恣意的? 今思うと、確かにそうかもしれません。
ですが、小学校の時の憧れ・夢というのは、周りの影響を受けるものではないでしょうか?

 

テレビで野球を見たり野球をしてプロ野球選手を目指したり、音楽をしているから音楽家を目指したり。
小さいころは周りの影響って絶対に受けると思います。でも、実際にそれを目指す気持ちはその子から生まれてくるものです。夢は変わってももちろん良いと思います。ただ、目標があるのと、ないのとでは、色々なモチベーションは変わってくるように思います。そして、夢が変わってもその時に頑張ったことがあれば、それは絶対無駄にならないと思うのです。

 

付け加えると、子供が夢見る仕事があれば、その現実のプロ(可能であれば身近な人に)の姿を、実際に見せてあげたらいいのではと思います。想像つかないイメージ図より、こうなりたい目標の人が居たほうが、その夢を思う強さは遥かに現実的だと思うのです。

 

「私は医師になりたいのと同時に、おじいちゃんみたいになりたかった。」

 

そう思わせてくれた親にめっちゃ感謝しています。

 

医学部に入った自分の小学生前半時代に、親がしてくれた7つのこと

 

5.私の可能性を否定しなかった。

 

「僕おいちゃちゃんになりたい!(訳:僕、お医者さんになりたい!)」
私がそう言った時、「なれるよ」と言ってくれました。

 

その時に、他にいくつも返答の仕方はあったと思います。
例えば、「勉強頑張らないとなれないよ!」とか、「頑張らないと無理だよ!」・・・とか。
否定の言葉を使われていたら「自分には無理かも」って思ってしまったかもしれません。

 

もちろん医者になるのに努力は必要で、超える壁はいっぱいある。だけど、なると決めたらその壁は自分で見える。(いつか壁にぶつかりそうになった時に)。可能性は無限だと思うなら、有限にしない方が良いと思うのです。

 

否定ばかりされる「のび太くんママ」みたいな声掛けは、どうなんだろうと思います。

 

 

(※否定される子・肯定される子のどちらが良いかは、明確なエビデンスのあることではないと思います。ただ、Robert & Mary Gouldingらの、人生脚本における禁止令の影響に代表されるように、否定的な対応はして行きたくないと思うのです。)

 

医学部に入った自分の小学生前半時代に、親がしてくれた7つのこと

 

6.主体性のないことをした時は、めっちゃ叱られた。

 

とはいっても、叱られた時もありました。

 

特に覚えている、叱られたのは2つの時で
・誰かを傷つけるようなことをした・・・家に入れてもらえない
・主体性がなく、指示ばかり待つ・・・めっちゃ怒られる

 

厚着をさせてもらった後に家を追い出されたことは今でも忘れません。私が悪うございました。
指示待ち人間になるな、と言われましたが、なぜ言われたかは覚えていません。だけどそのセリフは覚えています。

 

だけど、主体的に物事を考える子にしたかったんだな、と思っています。

 

叱られた記憶は、しっかりと残るし、ずっと覚えています。
だから、私が叱ることがあれば、なぜ叱ったか、どうしたら良いか、の先を見据えて叱れたらなと思います。

 

 

 

7.掃除は苦手(笑)だけど、おおらかにしていてくれた

 

ここまで書いて、子供に上みたいなことが全部出来たら良いなと思うけど、思い出補正も加わって多分めっちゃ美化しています。

 

特に、部屋掃除とか苦手な親だったので、姑(しゅうとめ)さんが「フッ」もししたら、ホコリがめっちゃ飛んだと思います。(ですが幸いにも、そんな姑さんは居ませんでした。)

 

苦手・不得意なことはやっぱり出てきますよね。

 

上の習い事に書いたように、私は習字はしていません。字、めっちゃ下手です。下手字のせいで、算数のテストの点に「字が読みづらいです」とのコメントとともに100点50点と書かれた、バーゲンセールのような私の点数をみて、「読めるのにね」と笑ってくれてありがとう。私には私の書いた字は読めません。

 

今では電子カルテのおかげで、字を書く必要は殆どない毎日で、漢字すら忘れそうな勢いです。
完璧を目指そうとイライラせずに、苦手なことはそのままでもおおらかだった親に感謝!
医学部に入った自分の小学生前半時代に、親がしてくれた7つのこと

 

 

 

以上、「医学部に入った自分の小学生前半時代に、親がしてくれたこと7つのこと」でした。